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命に関わる情報に格差があってはならない。
    津波警報が聞こえなかった。
    命を守る情報に格差があってはならない。
    東日本大震災の11日後に宮城を訪れ、2年4ヶ月かけて取材。
    一般のテレビや新聞で報道されなかった
    聞こえない人たちの現状を伝えるドキュメント。
架け橋 きこえなかった3.11

今村彩子監督

こんにちは。映画監督の今村彩子です。私は耳が聞こえない難聴です。
東日本大震災では、津波警報が聞こえず亡くなった耳の聞こえない人もいました。
聞こえる人と聞こえない人の日常における交流がもっとあれば、助かったかもしれません。

聞こえる人には「ろう・難聴者」の存在を知っていただけたらと思います。
ろう・難聴者は、津波警報や避難所での放送など情報を得ることができれば、高齢者を助けたり、物資を配ったりするなど支援活動にあたることもできます。
聞こえる人ができなくて、聞こえない人ができることは何か、自分ができることは何かを考えていきたいと思います。

そして、東日本大震災で亡くなった方々へのご冥福を祈るとともに、聞こえる人、聞こえない人たちがお互いに歩み寄り、共に生きることができる社会にしていきたいと思っています。

この映画が耳の聞こえる人、聞こえない人の架け橋、そして、全国各地と東北の架け橋となればと思い、自主上映・DVD販売をしております。
DVDの売上の一部は宮城県ろうあ協会による被災者救援の活動支援金となります。

よろしくお願いいたします。

今村彩子監督のコメント

この映画があなたへと架かる橋となりますように

「架け橋」が完成した翌日にこの作品は映画館で公開されました。スクリーンいっぱいに映し出される小泉さんの笑顔は取材した2年4ヶ月の日々が克明に浮かび上らせます。

大震災の11日後、取材で宮城を訪れました。カメラを向ける行為は人々を傷つけます。大切な家族や家を津波で失った中、カメラを担いでやってきた名前も顔も知らない私を拒絶したり、憤るのは当然の感情です。実際に多くの方に取材を断られ、申し訳ない気持ちでした。でも、現状を伝えなければという思いは私から消えませんでした。

ホテルは予約で一杯。車の中で寝ようと思った私に小泉さんは「車の中では寒いでしょう」と自分の家に泊めてくれました。

小泉さんは、日々の仕事や被災したろう者の支援活動などで多忙を極めていました。しかし、取材にはいつも丁寧に応えてくれ、宮城を訪れる度に「わざわざありがとう。あなたが記録として撮ってくれてとても嬉しい」と笑みを絶やしませんでした。

しかし、予期もしない出来事が起こりました。2011年暮れのことです。取材で宮城に発つ朝でした。小泉さんの息子さんから「父が倒れた」と連絡がきたのです。目の前が真っ暗になりました。

お見舞いに伺った時、小泉さんは右半身が麻痺し、歩くこともできず、手も上がらないので手話もできませんでした。私はその夜、涙がとまりませんでした。

しかし、その後、小泉さんは地道な努力でリハビリを続け、走ったり運転したりすることができるまで回復しました。物をつかむ、指を曲げるというような今まで簡単にできていた動作ができなくなることで自暴自棄になる人も少なくありません。小泉さんのたくましい精神力にただただ、感服するばかりです。

そして、震災から2年4ヶ月後の7月、会長として仕事に復帰し、笑顔で軽快に走る小泉さんの元気な姿がありました。その姿をカメラに収め、「架け橋」は完成しました。取材に協力してくださった小泉さん、皆さま、本当にありがとうございました。この取材は一旦ここで区切りをつけますが、これからも報道人として個人として東北を応援し続け、小泉さん達とのつながりを大切にしたいと思っています。

2013年8月17日
感謝をこめて
今村彩子