ニュース 珈琲とエンピツとは 今村彩子監督 メディア掲載情報 オリジナルTシャツ フォトギャラリー ブログ リンク
   
 
TOP > 珈琲とエンピツとは > 太田さん > スタッフ紹介
   
                   
                 
 
紙の上をすべるエンピツの筆跡から生まれる穏やかで優しいコミュニケーションがある。


映画の主人公は、静岡県湖西市にあるサーフショップ&ハワイアン雑貨店の店長、太田辰郎さん。ろう者※である。
30年以上のキャリアをもつサーファーで、自らサーフボードを作る職人でもある。
2007年4月、長年の夢だった自分のお店を開いた。
聞こえない太田さんがお客さんをもてなすために考えたのが、自らも愛飲するハワイの珈琲をサービスすること。
来てくれた人に、まず珈琲を入れ、ジェスチャーで勧める。

そして、紙とエンピツで筆談が始まった。

「今日、波乗った?」
「乗ったよ。いい波だった」

ハワイアンと間違えられるほどの風貌の太田さんは、筆談だけでなく、声を出して、
大きな身振りと豊かな表情で人懐こく話しかける。
彼のもとには、手話と全然縁のなさそうなサーファー達も気軽に集い、身振り、手振りで会話を楽しんでいく。

そんな太田さんに魅力を感じた今村彩子監督もろう者。
約2年間、名古屋から湖西へ通い、取材を重ねた。

コミュニケーションは声で話すことだけではない。手話だけでもない。
筆談、身振り、そして、笑顔。
相手に気持ちが通じれば、何でもありだ。
一番大切なのは、伝え方ではなく、相手に伝えたいという気持ち。

そんな太田さんの「言葉を越えたコミュニケーション」を
多くの方々に知ってもらいたいという想いを込めて、
2011年10月1日に完成。


※ろう者・・・耳が聞こえない人で、手話で話す人たちのこと。ろうであることを誇りに思っている。
聴覚障害者は医学的に見た表現で、耳が聞こえないということは障害であり、
治したり、少しでも聞こえるようにするものという概念がある。ここでは、ろう者という表現を使う。

   
     
     
         
                   
太田辰郎さん 静岡県:ろう者

サーフショップを持ちたい ——— この夢が生まれたのは、17歳の時。

京都の下町をぶらぶらしていた時、小さなサーフショップを見つけた。
ショップに置いてあるサーフボードを見て、カッコいい!と思った。
と同時に、将来は自分のショップを持ちたい、という夢が芽生えた。

大学時代は先輩にサーフィンを教わり、波乗りの魅力にもはまった。
卒業後は地元の会社で働いたが、高校時代からの夢を実現したいという気持ちをずっと持ち続け、
全国のサーフショップを巡るが、聞こえないからという理由で弟子入りを断られる。
20数年掛かって、やっと、日本のサーフィンの草分け的存在である
プロサーファー小室正則さん(有限会社MABO ROYAL経営/神奈川県)に、
弟子として受け入れてもらえることになった。
このとき、サーフボード作りの技術を身につけるため、本格的に修業することを決意し、
41歳の春、20年間勤務した会社を退職した。
それから2年間、小室さんの弟子としてサーフボード制作の技術や経営のノウハウを学んだ。

2005年には、サーフボード作りとハワイの文化を学ぶため、現地に6ヶ月間滞在。
そして2007年4月21日、湖西市に自分の店をオープンさせた。

最初の1~2年は、お客さんがなかなか集まらず、一日店を開けていても、誰も来ない日もあった。
どうしたら、聴者のお客さんをひきつけられるのだろうかと悩んだ太田さんは、
ある方法を思いつく。

“そうだ! お客さんに珈琲を飲んでもらおう!”

そして、ハワイの珈琲をサービスすることにした。
お客さんが来たら、まず珈琲を入れ、ジェスチャーで薦め
「ハワイのコーヒーです。どうぞ!」
とメモを見せる。
それから「耳が不自由です。ご用はメモに書いてください」と書いた案内を見てもらう。
すると、サーファーたちと筆談での会話が始まったのだ。

太田さんの笑顔とコーヒーの味がお客さんの心をつかみ、常連が増えていった。
お客さんの一人は、太田さんの笑顔を「日本一の笑顔」と評する。
太田さんの人柄とコーヒーのアイデアが功を奏し、
いま、店はたくさんのお客でにぎわうようになった。

□ ■ □ サーフショップ&ハワイアン雑貨店 Surf House Ota □ ■ □
http://homepage3.nifty.com/SurfHouseOta/
   
                 
     
         
                   
     
スタッフ紹介
   
                   

彩子と知り合ったのは、彼女が高校2年生だったかなぁ。
私が、ちょうどテネシーの大学を卒業して日本に帰って来たばかりの頃、
アメリカの友達経由で知り合った。
彩子は名古屋、私は東京、しばらくはFAXで連絡を取り合った。
初めて会ったのは成田空港。知り合ってから1年後位。
彩子がワシントンDCへの研修から帰国して、
そのまま東京の我が家に泊まることになっていたので、
空港まで迎えに行った。

ゲートから出てくる彩子を見つけた私は、「お〜い、おかえり!」と。
まるで、昔からの友達のように、私たちは出会った。

あれから約15年。その当時から、彼女の活躍を影ながら見守っていた一人。
今回の超大作「珈琲とエンピツ」の話を聞くうちに、
彩子の情熱と、太田さんの人柄に、知らず知らずと引き込まれ、
気が付いたらプロデューサーに立候補。
私自身、初めてのプロデュース業となる。

「この映画のタイトルは、何にしようか?」
ある日、名古屋からの電車の中で、彩子と二人で考えた。

「珈琲と…?」と私。
「あっ、珈琲とエンピツは?!」と彩子。

こうやって、二人三脚の映画制作が始まった。

映画を作り上げる過程の中で、色んなことがあった。
門さんにお願いしてTシャツをデザインしてもらったり、
ももさんにホームページ制作を頼んだ。
CM制作をしたり、テレビ番組の撮影にも関わった。
すべてのことが新鮮で、一つ一つ丁寧に取り組んだ。

迷ったり、壁にぶつかったり、心が折れそうになったり、
辛いことがなかったわけじゃない。

でもその度に、心の中でつぶやいた。
「この映画は、完成させる」
何があってもぶれないように、自分を必ずそこへ戻した。

映画が完成して、やっと「プロデューサーです」と堂々と言える自分が居る。
この映画とともに、自分も出来上がったんだなぁと、ちょっぴり誇らしい。
それは「珈琲とエンピツ」制作を通して出会ったその道のプロ達が、
たくさんのメッセージを送ってくれたおかげ。
その教えを胸に秘め、これからも歩いていこう。
一人でも多くの仲間にこの映画を見てもらうために、
ちょっとずつ前進しよう。

ありがとう、「珈琲とエンピツ」


プロデューサー阿久津真美 聴者

年子の二児を子育て中の主婦。
メアリービル大学卒業(アメリカ・テネシー州)/アメリカ手話学部専攻
日本手話/アメリカ手話/日本語/英語の四言語を自在に操る、自称手話師。
フリーランスの手話通訳及び手話講師として活動

留学中にアメリカ手話と出逢い、「これが私の生きる道だ!」と思い込んでから早や20年。
大学卒業と同時に、日本手話を身に付けるために帰国。
聴者でありながら、かなりのオーバーアクションで、表情豊かに手話を表現するので、
時々「彩子よりもろう者っぽい」と言われる。